更新日: 2021年7月16日
2月14日のバレンタインデーはもはや日本の恒例行事。そのきっかけが「お菓子会社の宣伝」だったことを知っている人は多いかもしれない。でも具体的に、誰が、いつ、どのように始めたのか?バレンタインの豆知識をご紹介しよう。
■日本のバレンタインは関西から
バレンタインデーはもともと海外の行事。一番最初に紹介されたのは、実は約80年前の1936年!神戸のチョコレートメーカー「モロゾフ」が、外国人向けの英字新聞に載せた「愛の贈り物としてチョコレートを贈りましょう」というチョコの宣伝だった。
そのときは全く定着しなかったバレンタインデー(日中戦争まっただ中だし、なかなか嗜好品の商売は難しかっただろう)。しかし、モロゾフのオーナーは諦めなかった。
それから15年後の1951年。もう一度、真っ赤なハート型パッケージのチョコでバレンタインを宣伝!それに大阪の阪急百貨店が目をつけ、毎年の恒例企画になっていった。そう、日本のバレンタインは関西から始まったのだ。
■関東のバレンタインデーが始まったのは1958年
じゃあ、関東での始まりはどうだったのだろう?関西に遅れること7年。1958年にメリーチョコレートカンパニーが、新宿伊勢丹に「バレンタインセール」の看板を出した。でも売れたのは、板チョコとメッセージカードがそれぞれ5枚。微妙な成果だ。
でも、懲りずに(?)翌年もバレンタインデー企画を敢行。ハート型のチョコや、「女性から男性へ」というメッセージも作られた。
バレンタインデーの知名度は、開始当初にはほとんどなかった。けれど、1960年から65年にかけて新聞や雑誌にたくさんの広告が出され、だんだんと一般的に浸透していった。1965年からは、伊勢丹でバレンタインフェアが行われるようになった。
■「日本ではバレンタインは定着しない」?一度は諦められたバレンタインデー戦略
これでとんとん拍子にバレンタインデーが定着…と思いきや、売上はそこまで伸びなかった。「女性から男性へ」のメッセージも、1960代当時は今のようにグイグイ行く女性が少なかったからだろうか?あまり功を奏しなかったらしい。
「日本ではバレンタインデーは定着しない」。そんな判断がされかけたことも。流れを変えたのは、子どもたちだった。
1970年代に、小中学校、高校で、「女の子から男の子に告白できる日」としてバレンタインデーが盛り上がりはじめたのだ。その過熱っぷりは新聞記事にもなっているくらい。このときにはすでに、「バレンタインデー=チョコ」の図式ができていた。
バレンタインデーの熱は、子どもたちから大人に伝わっていった。70年代後半にはOLたちがチョコを買うようになり、売り上げは右肩あがり。80年代に「義理チョコ」文化が誕生すると、チョコ市場は3000億円を超える規模になった。
紆余曲折を経て日本文化のひとつになったバレンタインデー。ここ十数年で「友チョコ」「ご褒美チョコ」(自分チョコ)「逆チョコ」の文化も生まれつつある。もしかしたら、今後さらにバレンタインデーは進化していくのかも?