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お中元の由来

2018年6月23日

更新日: 2021年2月16日

夏のボーナスが出たころ、お世話になった方に贈り物をする「お中元」は、昔ながらの日本の風習です。
しかしそもそもなぜ、この時期に贈り物をするのでしょう。

中元は「三元」の一つで、本来は贖罪行事の行われる日だったとされますが、「三元」について説明する前に、まずは三官大帝について語らねばなりません。
三官大帝は道教の神で、天官、地官、水官の三帝のこと。
それぞれ天官は福をもたらし(賜福)、地官は罪を赦し(赦罪)、水官は厄を祓う(解厄)神徳があると考えられており、窪徳忠著の『道教の神々』によれば、そのいわれは諸説があるが、頭がよく美貌の青年である陳子椿(ちんしちん)に龍王の三人の娘が恋をし、それぞれに子供を産んだのが上記三官らしいです。
そして長男である天官は1月15日、次男の地官は7月15日、三男の水官は10月15日に生まれたとします。
この三官の誕生日を「三元日」と呼び、特に贖罪の神徳がある地官の誕生日である「中元」は、死者、特に先祖を供養する日とされるようになったのです。

中元である7月15日は盂蘭盆会(うらぼんえ)の中日でもあります。
盂蘭盆会もまた祖霊供養の日であるが、この起源は仏教エピソードにあります。
中国で成立した『盂蘭盆経』に載せられたもので、釈迦の弟子であり神通力のある目蓮が、餓鬼道に落ちた母親を救うため、比丘(びく=僧侶のこと)たちにご馳走をふるまった日とされています。
これは、7月15日が解夏、つまり厳しい修行を行う夏の安居が終わる日であるため、比丘たちをねぎらう意味もあったと考えられています。
道教と仏教のどちらが先かはわからないですが、中国において7月15日は古来、先祖供養を行う日とされてきたのでしょう。
現在では、盂蘭盆会と中元は習合しており、明確に区別はつかない状況ですが、先祖以外も含めた死者や神を供養するために庭で一日中火を焚く、中元由来の習俗も残っているようです。

日本におけるお中元はお盆と区別されており、お世話になっている人に贈り物をする日と認識されています。
贈り物をする風習の起源は明らかではありませんが、地官の神徳にあやかって罪や穢れを贖うべく、近所で贈り物をしあっていた習慣ではないかと考えられています。日本では“不幸のあった人が多くの人に贈り物をする”ことで厄災を分け合う思想があり、節分に厄年の男女が、近所の人々にぜんざいをふるまうのも同じ意味があります。
また、お盆に両親への贈り物をする習慣が、お中元になったとも。
鎌倉時代ごろには、一年間身内に死者の出なかった年のお盆を「生盆(いきぼん、しょうぼん)」とし、存命中の両親を祝う風習が生まれました。
江戸時代には庶民にも広がり、子供から親へ魚を贈っていたのが中元の始まりであるといわれています。

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POWARED BY KOBE FRANTZ                                                                                                         画像出典:freepik