更新日: 2021年9月22日
日本では誰もが知っている記念日【敬老の日】は、言わずと知れた長寿をお祝いするイベントですが、その由来はご存知ですか?諸説ありますが、その起源となるお話はどれも興味深いものです。今回は【敬老の日】の由来や起源についてご紹介したいと思います。
一つ目に、聖徳太子が大阪の<四天王寺>というお寺の境内に老人向け施設「悲田院」(ひでんいん)を作った日が【敬老の日】の始まりだとする説があります。「悲田院」では病人や身寄りのないお年寄りを受け入れ、無償で介護をしていたそうです。今でいうところの、いわば老人ホームのような施設。1400年も前から社会福祉事業に乗り出していたとは、さすが多くの伝説を持つ偉人、聖徳太子ですね!
この「悲田院」が誕生したのが9月15日であり、【敬老の日】の起源であるとする説があります。
次に、奈良時代の天皇である元正天皇に由来する説があります。
ある時、元正天皇は、とある孝行息子の話を耳にしました。美濃に大変貧しい父子が暮らしており、貧しさのため年老いた父は大好きなお酒も飲めずにいたそうです。息子は父にお酒を飲ませてやれない事を、いつも申し訳なく思っていました。ある日、息子が流れ落ちる滝を眺めていたところ、岩から滑り落ちてしまったのです。すると、落ちた谷底で見つけたのは谷間から湧き出てくるお酒でした。息子はそれを持ちかえり父に飲ませたところ、父はとても喜び、見違えるように若々しくなったということです。
この話は都に伝えられ、感動した元正天皇が、酒のながれる滝とされる「養老の滝」へ行幸し、この湧水を「老を養う若返りの水」と呼び、年号を「養老」に改めたということです。
この養老元年と改められた日が、現在の暦でいう9月15日ごろであり、【敬老の日】の起源であるとする説もあるそうです。
最後に比較的新しい説では、【敬老の日】が誕生するきっかけとなったのは昭和22年、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)で行われた「としよりの日」が起源だとされています。戦争に子どもを送り出し、精神的に疲れていた両親たちの想いに報いるため、9月15日に村人が集まり55歳以上の人を対象に「としよりの日」として敬老会を催したのが【敬老の日】の始まりであるとされています。
9月15日は、気候が良いことに加えて農閑期でもあり、さらに先にご紹介した「養老の滝」の伝説にも基づいて、この日に「としよりの日」が行われたそうです。
「としよりの日」の取り組みは、村から県、県から国へと広がり、1966年に国民の祝日に関する法律が改正され、9月15日が【敬老の日】と定められたということです。
その後、2001年(平成13年)の祝日法改正「ハッピーマンデー制度」の実施に伴って「国民の祝日に関する法律」が改正され、【敬老の日】は9月の第3月曜日に変更になりました。
こちらは「養老の滝」のお話にも通じますので、どちらが起源とするかは捉え方次第でしょうか?
由来とされる話は諸説ありますが、どれも身近なお年寄りを敬い大切にする良いお話でしたね。【敬老の日】の意味は、自分のおじいちゃんおばあちゃん(もしくはお父さん、お母さん)だけではなく、人生の先輩である身近なお年寄りを敬う心を伝える日。
9月の第3月曜日【敬老の日】は「いつまでも元気で長生きしてね」の気持ちを込め、カードやメッセージ、お花やスイーツギフトなどの素敵なプレゼントを贈るなどのあなたのおじいちゃん、おばあちゃんにピッタリの祝い方でお祝いしてあげて下さいね。